拒絶の心理、排除の心理

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雑記

最近経験したことから多角的にとらえてみたいと思います。

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マイナースポーツ

ブログにも書いている通り、サイクルスポーツというマイナースポーツを趣味にしています。この記事を書いている時はロードバイクに乗り始めてから3年位が経っています。

ブログを始めて2年、SNSもほぼ同時に始めました。ブログ初心者、SNS初心者、ロード初心者です。そんな中で最近、SNSでちょっとした洗礼を受けることになりました。そのことについて書いていきたいと思います。

また、そこから分かったことがあります。視点を変えて考えていきたいと思います。

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SNSの洗礼

今まで良い人に恵まれていたのでメディアで見聞するようなSNSの洗礼を受けることは有りませんでした。ある時、有名人のSNS投稿に対して私がコメントをしました。すると、私のコメントに対して批判的なコメントを貰いました。有名人にコメントすること自体が無防備でした。いい経験をしたと思いつつ反省もしています。

反論したいところでしたが、火に油を注ぐ行為になると思ったので止めました。顔の見えない状況、文字だけでやり取りする怖さを仕事で十二分に経験して来たからです。

批判者のコメントが更に続きます。読み解いていくと、主投稿の内容から少し外れた内容に変化しています。

SNSは気軽に投稿するものだと思うので、じっくりと読み解くものではないと思います。この私の行為も良くないのだと思います。コメントで指摘をして炎上しかけているのはよく見ます。

思い留まったことで事なきを得ました。

批判者は、普段感じていることを書きたかったのかもしれません。

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普段感じている事

超マイナースポーツがマイナースポーツへ、マイナースポーツからメジャースポーツになる時に起こる現象があると感じました。

それは、超マイナースポーツの時から、マイナースポーツの時から、そこにいた人たちの存在です。彼らは早い時期からそのスポーツを楽しみ、支えてきて来たという自負があります。新参者には分からない負の一面を受けてきたのではないでしょうか。

どんな事があったのかサイクルスポーツで想像してみました。

  • ロードバイクで車道を走っていたら車やトラックなどからクラクションを鳴らされた。
  • ロードバイクで車道を走っていたら車やトラックなどから幅寄せされた。
  • サイクルスポーツというもの自体が全く理解されない。最悪、馬鹿にされる。
  • 暴走行為、とても危険だと批判される。

上げてみた内容は今でも起こっていることだと思いますが、昔は今よりももっと顕著だったのではないかと思います。

昔は自転車は歩道を走るのが常識でした。そんな中ロードバイクは車道を走ります。車道を走らなければサイクルスポーツを楽しめないからです。車道を走る自転車は自動車などにとっては邪魔な存在です。トラックなどからクラクションをよく鳴らされていたのではないでしょうか。

平成19年に法令に基づき車両であること、車道を走ることが再確認されました。これにより自転車は車道を走ることが原則となりました。これにより邪魔であろうとなかろうと堂々と車道を走ることが出来るようになりました。路側に自転車走行するようにマークが付けられました。クラクションを鳴らされることは大分減ったのではないでしょうか。

有名選手、マンガ、映画などよりサイクルスポーツに対して少しずつ理解されるようになりました。

サイクリングロードなど自転車走行道路などが整備され始めたころは頻繁に暴走自転車として見られ報道されてきました。(今でも、歩行者と自転車の衝突事故が発生する度に話題になります。)

サイクルスポーツへの許容と理解が深まってきて、これらのことは大分聞かれなくなってきたと思います。

少し大袈裟な表現になってしまいますが、昔から趣味にしている人たちは、後ろ指を差されながらサイクルスポーツを楽しんでいたのだと思います。

マイナースポーツからメジャースポーツへと昇華されていく事は関係する人の誰もがうれしいと思います。でも、今までの苦労などを知らずに飄々と楽しんでいる新参者を見ると少し気に入らないのです。「何の苦労を知らないくせに。」となるのです。

飄々とした人が何の気になしに不用意にする発言に対して「ムカッ」と来るのです。その内容が我慢ならないと「拒絶」し「排除」したくなるのです。今回の私です。

こういった心理は、スポーツだけに限らず色々な場面で起こっていると思われます。

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「拒絶」し「排除」したくなる

この心理は、色々なところで起こっているのだと思います。

  • 町、村など地域的なもの
  • 会社に新しい人が入ってきたとき
  • 思想によるもの

先人が値踏みをする権利がある。先人が正しい。という考えから起こると考えられます。

歴の「長」「短」で決めてしまっていいのでしょうか?結局は「納税者」であり「労働者」でしかないのです。思想に関しては別次元にあると思いますので説明出来ません。

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マイナーからメジャーに昇華されるためには

新人は過去の苦労などは知らなくてもいいのです。今の問題・苦労に対して対応すればいいのです。過去を軽んじるわけではありません。過去から学ぶことは沢山あります。しかし、全員が知っている必要な無いと思います。一部の重要な人たちだけが知っていればいいのです。全ての人が知らなくていいと思います。

先人の力が弱くなるためにはどうしたらいいのでしょうか。

苦労をしてきた人がいなくなる。引退する。年を取る。でしょうか。新人の大量流入による存在感の希薄などもあると思います。一番は時間がゆっくりと変化していくというのが一番ではないでしょうか。

時間的な物も結局、「拒絶」「排除」になってしまいます。でも、選択肢の中では簡単な部類になるのでしょう。

最後に別の方法を考えてみたいと思います。

環境を良くしたい、〇〇人口を増やしたいと考えるのであれば、「拒絶」や「排除」ではなく「許容」と「歓迎」の心を持つべきだと考えます。

但し、直接の利害関係が無い時にかぎります。勝つためのチームでは、「許容」と「歓迎」だけでは上手くいかないことも出てくると思います。チーム内の競争でレギュラーを取るためには「拒絶」や「排除」があるかもしれません。完全になくすことは難しいと思います。

「拒絶」や「排除」だけではなく「許容」と「歓迎」を多めに対応出来るのがいいと考えます。
飴多めの「飴と鞭」はいかがでしょうか。

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